3.「私の考えるワイン作り」

近年醸造の天才を名乗る輩が我が国でも何人か出て来ました。私は否定します。何故と言って、現在地球上にはきっと60~70万軒のワイナリーがありましょう。私も少ないお金とたっぷりある時間を使って、世界各地のワイン地帯にワイナリーを訪ね歩きますが、そんな話は聞いたことがないのです。だってそうでしょう。日本中の約300軒のワイナリーにざっと数えて20人程そんなことを言っているプロフェッショナル気取りが居ますが、もしそうなら、先進地の欧米豪あたりには数万人もの天才醸造家がいて、色々なところでしょっちゅうそんな人に出逢いそうなものです。それが全くといってよい程無いのです。
 正直な人は「私は収穫したぶどうを丁寧にワインにするだけです」と言うことでしょう。謙遜ではありません。事実をそのまま述べているのです。何故ならワインの味はぶどうですべてが決まることを良く知っているからです。ましてや近頃、醸造機器は格段の進歩を遂げました。良いぶどうから美味しくないワインを作り上げることの方が至難のワザなのです。
 逆に、ぶどう栽培には工夫の余地がまだ多少あります。それでも誠心誠意ぶどうと対峙すれば、矢張り、「ぶどうの味を決めるのは天候だなぁ」となります。要は人智の及ばざるところに行き着く、という次第。肩に力を入れず、従容として天命に付き従う。それがワイン作りかもしれません。もし美味しくないワインが出来上がったとしたら、その理由は次のどれかです。
・天気が悪かったから
 ・ぶどう作りの手を抜いたから
 ・ぶどうの木が若過ぎたから
 ・自分が作り方で大きな間違いを犯したから
ことほど左様に、ワイン作りの作法は受動的なもので、決して「攻める」ということはないのです。それと、作り手にとっては強い味方が居ます。熟成です。特にビン熟成は劇的でさえあります。上手に10年寝かせれば、きっと面白いものになります。(白の場合は3~5年?)
 いかがですか。外国から輸入したワインを自分のワインとしてビン詰めしたり、本来目的に叶っていない食べるぶどうからワインを作ったり、又、手品師のようなマネをして世間の注目を引いたり、、、、なんて詰まらないことをするとワインに笑われてしまいますね。深いけれど難解なものでは決してないのがワイン作りなのです。