105.ワイン評論家の思い違い

2017/04/10

  先日、在京の或る大学の先生が2人お見えになり私と6時間近く話して行かれました。何やら色々と尋き取り調査の積りでいらしたのでしょうが、話題はワイン全般に及びました。新しいワイン表示法の話もしました。
  ところが話も中頃を過ぎた頃、どうも先方とこちらのトーンというか基本認識というか、それが合わないことに気付きました。話はこうです。
  先方、「良い法律が出来て、日本のワインは益々良くなりますね。」私が答えて、「益々と言ったって、今迄が全く出鱈目だったのだから、殆んどが全部やり直しですよ。」「えっ、本物の日本ワインってそんなに少ないんですか。」と相手。「ええ、よくて20軒あるかな。しかもヴィニフェラ(欧州系ワイン専用品種)だけから作っているところとなるとたった4軒かな。何なら貴方がたの知っているワイナリーを掲げてごらんなさい。」と私。相手が〇〇ワイナリー、△△ワイナリーと掲げる毎に、私は「あっそこは輸入原料が殆んど。そこは食べるぶどう主体。」と散々の批評。相手側も疲れて来ました。
  最後の方ではゲンナリした顔で若い方の先生が、「でも輸入原料依存のワインが駆逐されれば美味しくて高いワインばかりが残りますね。」「いえいえ、それは全くの誤解です。日本中、輸入原料を扱っているワイナリーに於いては、地物のぶどうで作ったワインが安物で高額な方のワインが外国物ということになるのです。アルゼンチンやチリから輸入されるワインは決してマズくはないのですよ。」と説明している私まで何やらゲンナリして来ました。論理的に思考すれば簡単に得られる答なのに、賢い先生方こそ、この落とし穴にはまるのですから不思議です。世の評論家諸氏がはまり易い、対象への「好意的性善説」とでも申しましょうか。
  以前、どこかで書いた私の文にありますが、ワインの輸入原料(ワインそのものか濃縮果汁)は麻薬のようなものです。一度それに手を染めると縁を切るのは容易ではありません。違法の麻薬と異なるのは、一応合法で価格が安いことです。似ている点は常習性と仕入れの割りに末端価格が高いことです。と、ここまで書くと日本ワイナリー協会から破門されそう。なあんて、そんな組織には勿論加盟していませんが・・・。