110.ヘミングウェイ①

2017/05/15

  村上春樹がスコット・フィッツジェラルドを持ち上げ、返す刀でヘミングウェイのことを馬の骨の如く言うのを、痛快なる思いで読みました。私も青年期にヘミングウェイを読んで面白いなと思いながら、何やら物足りなさを感じたのは、ああこんな訳だったのかと納得した次第です。
  入った大学に小野喬一という英米文学の教授がいらして、ロスト・ジェネレーション等の解説をなさる。ジョージ・オーウェルやアーネスト・ヘミングウェイは通り過ぎて、アラン・シリトーやらウィリアム・サローヤン、ジョン・アップダイクと進む。本来は英文で読むべきところを、先回りして良き翻訳書の方を読んでしまう劣等生の自分ながら、この教授のことは現在でもフルネームで覚えているくらい好きでした。何をと言って、英文学者である前に人間としてとても誠実な語り口、振る舞いの人だったから。風貌がその時期に亡くなった自分の父に似ていたことも多少関係しているかも知れません。
  さて、それはさて置き、ヘミングウェイにまつわる話を二題。ワイン地帯を見に行ったり、絵画を見に行ったりした時にスペインのマドリ(と現地の人は言う、正確にはマドリード?)にはよく立ち寄るのですが、現地の案内書で見て中心地にある有名レストランに行ってみました。1976年のことで、店の名前は“El Botin”。創業は1600年代とのこと。サザエの殻の中をラセン階段で下りて行くような作りの空間で、名物料理の「豚の胎児の丸ごと炙り焼き」と「イカスミのパエリヤもどき」を注文しました。まあ味は悪くなかった。この店の謳い文句が「世界で最初のレストラン」というのと、「ヘミングウェイがよく訪れた店」。前者はいざ知らず、後者は彼がスペイン内乱の頃やその後「誰がために鐘は鳴る」等執筆のためによくこの街を訪れていたのは知る人ぞ知るですから、「ほう、そうか!」と思ったものです。ところが満腹となり店を出て振り返ると、この店の向かって左隣りにもうひとつ似た感じのレストランがありました。その看板には大きく、”Since1960.Hemmingway has never visited our restaurant.“ こういう諧謔が死ぬほど好きな私です。きっとこの店主のこと、ヘミングウェイを偽善者と罵った口でしょうか。
  それにしても10代後半20代と松本清張を読破したと思っていたところ、丁度頃良くその批判書が出されました。曰く、社会派推理小説を気取るのは結構だが、筋書きが予定調和的で余りにも旨く出来上がり過ぎていて、あり得ないとバッサリ。そういう視点で見ると、アラ本当だとなってしまい、それ以来彼の作品は評価出来なくなったから不思議です。