117.ガウアー君の思い出

2017/08/27

  フルネームはジェームズ・ロス・ガウアーで西ドイツのワイン学校時代の級友です。出身地は南アフリカ連邦共和国のケープタウン。マンデラ大統領出現以前のかの悪名高きアパルトヘイト時代のことですから、余りそのことに触れずにお付き合いしていました。支配階級側の白人で、どう見ても金持ちのボンボン然としていて、乗っている車もアルファロメオのコンバーチブル「スパイダー」。今はケープタウンに住んでいても、御先祖様はドイツ系イギリス人だったそうで、英独両方の言葉を話し、現に西ドイツにも遠く繋がる家系が幾つかあるとか。
  或る日彼に誘われて彼の遠縁の家に連れて行って貰いました。学校より西に100kmほど離れたプファルツ地方に住むモッツェンベッヒャー家。いまだ広い敷地(領地)を持つ貴族で、勿論ワイナリーも経営していますが、50才代の当主が夕食を御馳走して呉れるということになりその席に臨みました。肝の座った私でも唖然とするような造りの部屋に通されて、例のNHK深夜放送番組もどきの貴族の正餐(ディナー)を体験する仕儀となりました。30畳程の豪華な部屋には長径10m余×短径2m50程の楕円形テーブルが置かれ、当主と私は10m離れて対峙し友人ガウアー君と当家令嬢は2m50で向かい合います。一応ネクタイに背広で出掛けたものの、その雰囲気の荘厳さといったら。私の人生で一番高級感のある夕食の席でした。ワインは確かに美味しかったものの、お蔭様で料理のことは丸切り覚えていません。何を話したかもおぼろですが、ひとつ記憶していることは、とても大きな声で会話したことです。そうしないとお互い聞こえないからです。もっともドイツ語はひそひそ話し合うのには元々向いていない言語ですが・・・。
  他日、学生寮内で彼が私の部屋をノックした時のこと。ロック、ビートルズ、ジャズ、シャンソンと何でも好き人間だった私は渡独を機縁にクラシック音楽にのめり込んでいましたから、部屋ではソニーのステレオ・キットを据え、手あたり次第街でLPを求めて聴いていました。彼が部屋に入って来たその時に聴いていたのが、ベルリン・フィルを相手にカール・ライスターがクラリネットを吹く、モーツァルトのクラリネット協奏曲。レコードのジャケットには大きくヘルベルト・フォン・カラヤンの写真があります。
  音痴のガウアー君曰く、「あっ、この男ね、僕の遠い親戚。今度彼の別荘でのパーティーに招ばれているんだ。君も一緒に行くかい?」もうその頃は私もカラヤンという人物がどの程度の大人物か知っていましたし、前回モッツェンベッヒャー公爵だか伯爵だかの処でちょっぴり冷や汗をかいた記憶も残っていて、そして確か当日はサッカーのリーグ戦の大事な試合があることもあって断りました。
  人生、あの時断っておいて良かったという事柄は多いものの、このカラヤン氏に会いに行かなかった件だけは、今も「ちょっぴり残念のファイル」に入れてあります。
  こんな愉快な友人ガウアー君も日本のワールドカップ出場が決まって、2002年6月にケープタウン(ドイツ語ではカープ・シュタット)に訪ねて行く約束をしたのに、その数カ月前に亡くなって再会は叶いませんでした。(享年52才)残念です。