12.「ナパ紀行Ⅱ」

2015/06/19

 今回の訪問は丁度復活祭とぶつかったせいでしょうか、何処も人でいっぱい。14人が貸切りバスで動いたものですから、予約の店はまだしも、跳び込みで入ったレストランは席に着くのに大変でした。アルコールも満量、お腹も満杯での移動ですから、宿ではグッスリの毎日。
 アメリカ滞在4日目あたりから一行の皆さんの話題が、故国での食事のこととなります。別に馬鹿にする訳ではありませんが、とにかくアメリカの食事は大雑把。選択の幅もありません。1か月丸々滞在でもしようものなら、私でしたら確実に10㎏は肥りそうです。出会う大人達が8割方ウェスト100㎝以上で、そのくせダイエットだ、オーガニックだ、サプリメントだのと言っているので大笑いです。彼らの快活さは、しかし、そこから(その太っ腹から)来ているのかもしれません。愛すべき人々です。
 それにしても、かつて30~40年前は世界一のワイン輸入国だったハズが、今や世界一のワイン生産国になったのですから驚きです。我が日本人が1年間に飲むワインが約6億本として、そのうち自国のワイン用ぶどうから作られるワインは僅か1%以下の400万本程との計算もありますから、我が国ではこれから伸びる産業なのでしょうが、問題は耕地です。1反2反(300~600坪)の畑ではワイン作りは出来ません。最低3町5町(9,000~15,000坪)のぶどう畑作りから始めなければいけません。アメリカ、オーストラリアに移住するか、それとも北海道でやってみるか。
 ナパにロバート・モンダヴィという偉人がいました。彼はナパ草創期(19世紀後半)の牽引者チャールズ・クルーグの縁者で、20世紀前半の「禁酒法」や「大戦」乗り越えて、1960年代に事業の基礎を作った人です。現在のナパ隆盛の父として人々から敬愛されていますが、彼のとった政策(?)が素晴らしい。ナパを一級のワイン・ゾーンにするには数多くのワイナリーを開業させること。そのためには、自分のところの人間も率先して3年程居たら独立させる、を繰り返した人です。囲りに開業する人々はライバルというよりは、むしろファミリーだ、が彼のモットーだったとか。
 幸運にも私は彼自身に会って握手する栄誉に浴しています。ナパを初めて訪ねた1975年私の居たドイツの学校に夏季留学生として来ていた、彼の次男ティモシーの紹介です。そんな偉大な人とは露知らず、社長室でお話したことを覚えています。私が彼から受けた影響は深く大きなものです。人生60才を過ぎて、今やっと彼と似た展望を持つに至ったと実感しています。
 勿論、彼の手法に影響を受け、それを実践して立派なワイン・バレーを作った人々はオーストラリアやニュージーランド及び全米各州に沢山現れました。ですから私の場合、それらの人々からも充分に検討すべき材料、課題を与えられながらの前進です。旧世界とも呼ぶべきヨーロッパの各地帯も加えて、ワイナリー開業に際しては数多くのスタディが可能なのです。