122.Kazuo Ishiguroのノーベル文学賞

2017/11/05

  確か10年以上前のこと。週刊誌か新聞の書評欄で“純粋の日本人が書いてブッカー賞を受賞した作品”の記事に接し、興味を持って新潟市内の書店へ。書棚には勿論並んでおらず、取り寄せで手に入れた翻訳本が「日の名残り(The Remains of the Day)」と「私を離さないで(Never Let Me Go)」の二冊でした。両親は生粋の日本人で長崎で生まれながら、幼少期にイギリスに渡り、そのまま英国で大学院教育まで受けて、英文の小説家として生き、29才で英国に帰化したそうです。英語で小説を書いて、しかも芥川賞クラスの賞を取るのだから、物凄く頭の良い人なのだろうなぁと思いながら頁を繰りました。
  考えてみれば不思議な話です。日本人の私が、自分から見て英語力で遠く及ばない帰化日系英国人の評判作品を、日本語訳で読もう(楽しもう)としたのです。シェイクスピアに劣らぬ名文だったかもしれないのに、原文では読もうとしないのですから、韻律も語調も、文章の趣きも何もかも中途半端な物語を読んでしまったのかも知れません。翻訳者への他意は決してありませんが、所詮翻訳そのものに限界があるのですから仕方ありません。The Remainsのストーリーは、多少胸にジーンと来るものではあったものの、へぇ~この程度でブッカー賞かという思いでしたので、きっと原書は名文だったのだろうと想像します。Never の方はしかし、読んでいて辛く悲しくなる本でした。その頃私のドイツの友人達が「最近スラヴ系の人間が我が国に自由に出入りするようになって、少年少女の行方不明者が増えた。きっと移植する臓器用に誘拐しているに違いない」と、しきりに噂していた時期だったせいもあるのでしょう。臓器移植目的型人間飼育がテーマですから、喉が詰まりそうになり、三冊目の購入に走らなかった記憶があります。
  それにしても、今回の受賞者発表は滑稽でした。私の如きヘソ曲がりではなくとも、思い至った人は多いことでしょう。ノーベル賞選考委員会からのいわゆる「ハルキスト」達に対する、ちょっとしたイヤガラセの感じがします。「どうか日本の皆さん、私達に圧力をかけないで下さい」と。ちょっぴりはハルキ・ファンで、内心カズオよりはハルキの方が上だなと思っている私としては、陰でハルキスト達を煽っている某出版社こそがハルキのチャンスを潰したと思ってしまいます。自分の会社の利益のために。地球上に国も言語も二百三百あり、様々の文学があるのに、それに優劣を付ける。殆ど不可能なことをしている訳で、それ故一度日本人が受賞したら(受賞者は出生国で分類登録されるそうです)次は何十年も廻って来ない。ハルキにはあげたかったけれど、外野席がうるさ過ぎるから、カズオにしてチャラとしよう、みたいな雰囲気です。TVでも当のIshiguro氏が「僕よりもっと違う人が居たのではないか。例えばムラカミ氏のような」と言っていたくらいですから。
  昨年のBob Dylannには馬鹿にされ、今年はちょっぴりIshiguroに皮肉られて散々のノーベル財団です。アウン・サン・スーチー(平和賞)の誤選例もあることですから、選考基準を考え直すとか、いっそのこと止めてしまうとかのところまで来ているような気さえします。