128.アントニオ・ガウディのこと

2018/02/11

  スペインには何度も繰り返し訪れた都市が3つあります。マドリード、ログローニョ、そしてバルセローナ。料理も口に適うしワイン作りの大国でもあって各々マドリード、リオハ、カタルーニャの州都なのですから、私ならずとも好きな街に数えることでしょう。
  中でも地中海に面した港町のバルセローナは大好きなサッカーチームの本拠ですし、二人のパブロ(ピカソとカザルス)の美術館・博物館があります。そして何といってもかのガウディが活躍した街。もう100年以上も前のことだそうです。御領主のグエル伯爵をパトロンとして彼の自由な発想は余すことなく表現され得たことでしょう。
  40年程前、最初にかのサグラーダ・ファミーリヤを見た時はとても驚きました。欧州各都市の建築を見て歩くのが趣味の私としましては、建物を見る度にこの建築は何世紀の○○様式のもので誰々の設計になるもの、と説明書と引き較べながら歴史のタイムトンネルくぐりを暫時楽しみます。ところがどうでしょう。この巨大な造りかけの建て物は、きっと地球上にはこれしかないという強烈な独自性を主張していました。
  その後数年に一度の割合で訪れ、遅々として進まぬ建て物を見上げるうち、建築学は素人で鈍感な私にでさえ、その驚きと奇異なる印象の理由が段々と分かって来ました。この世の大建築に必ずある、きれいに定規で引いたような水平線と鉛直(垂直)線が見当たらないのです。丸で太い鉛筆を手にフリーハンドで描いたスケッチの如きフィギュア。
  「シュルツのスヌーピー」やら「宮崎駿のナウシカ」の世界に通じるとでも申しましょうか。実際に長く見詰めていると、ガウディの建築物も何やら心がゆっくり温まってきます。
  近年、完成を急ぐ手段として、中心部の構造柱を鉄筋コンクリート化しているようですが、100年前の初期建築の石造り彫刻部分が都市型酸性雨で崩れ始めていることを考えると、仕方のないことでしょうか。しかし以上のような述懐は私の勝手な思い込みかもしれません。設計時にガウディ自身が試作したとされる、小さな砂袋を数多く逆さ吊りにした「構造の重力計算模型」は地下の資料館で見ることが出来ます。実際その前で名画鑑賞よろしく時間を潰すのも一興です。
 柵で囲まれた敷地内に見学料を支払って入ると、日本人の観光客が多いことに気が付きます。でも心なしか余りミーハー的な人は居ないようにもみえますので、インテリっぽい若い人々に私は次々と質問を発します。「大学生ですか。」「どんな勉強をしているのですか。」そうです、建築を学んでいる人が圧倒的に多く、彼等にとっては一度必ず訪れるべき聖地なのかも知れません。きっとお金は無茶苦茶かかるでしょうが、我が国にもガウディ的な発想の建て物があれば面白いなと時折思ったりします。