160.都会型農産加工品の怪

2019/04/22

  人間が、少なくとも我が日本人が口に入れる物、言い換えると「食品」の多くは農村(これも言い換えると「田舎」)に由来するものです。ごはんもパンも味噌汁もバターも牛乳も、野菜も果物も砂糖も醤油も、チーズも肉もワインだって、と数え上げたら私たちは一日中色々な田舎発の産物を味わっていることになります。しかもその土から得た農産物を更に農産加工品と成し、より長い消費期限と付加価値を付与する仕事も、かつてはすべて農村かその周辺部で行っていました。それ故、都会に住む人々は近くの農村に大いなる関心を払い、自動車の無い時代でもよく田舎に出掛けていたものです。大昔から都会に住む人は郊外の景色ののどかさと採れたての農産物のおいしさに憧れていたからでしょう。洋の東西を問わず、ワーズワースにも池波正太郎にもそんな記述が出て来ます。
  ところがどうでしょう。4~50年程前から農産加工物の或る分野が、工業化された大量生産に切り換えられて来ました。と共に大量生産されたものを大量流通させるべく、広告宣伝の情報がTV・新聞・雑誌を通じて大量に流され始めます。かつて大学在学中(50年前のこと)、ちょっぴり尊敬していた学生寮の先輩が、D社という大手の広告代理店に就職が決まった時の二人の会話。私が「先輩、広告代理店ってどんな仕事をするのですか。」「大量に作られた物を大量に捌く時、消費者に良い商品イメージを伝える、そんな仕事さ。」更に私が「それってテレビのコマーシャルや新聞の広告欄を作る仕事ですか?」「まぁそんなものだろう。実は俺も余り詳しくは知らないんだけど。」
  その後自分の友人で、この広告代理業に入った人間もいて、その友人との会話。私が「広告というのはどうも大袈裟でホントのことを言っていないねぇ。」友人が「俺達は人々に夢を売っているんだよ。」「ということはウソってことだね。」要するにデ・ビアースだか誰だかが言っていたように、「広告人とは自分で不可能だと知っているくせに、他人に可能だと思わせる商売。」なのでしょう。
  とにかく広告宣伝の魔法ゆえに、採れた所とは違う都市近郊の流通拠点に近い場所で、大量生産方式の農産加工が行われるようになります。原料はスケールメリットを狙って、世界中からその工場にやって来るようになりました。消費者に対するイメージ戦略としてメーカー(加工会社)は決して原料農産物の出発地(国)を明かさなくなりました。そんな事情は原料出発地(国)側にも知れてしまい、どうせ相手が隠し事をしながら加工するのなら、こちらも誠意ある対応をしなくてよいと考えるようになります。いわゆる負のスパイラルです。
  今や経済先進国の我が国で農村(ということはいわゆる「地方」)が疲弊して活力を失ってしまったのには、以上のことが無関係ではありません。ちょっと強い表現ながら上述「食品偽装」のツケが農村に廻って来て、農村に本来存在すべき付加価値型食品加工業が無くなりかけているのです。霞が関の我が国随一の頭脳を持った人々である官僚や、中央の政治家もやっと気付き始めました。「地方創生」「六次産業振興」と大合唱して、返す刀では泉佐野市の如き安直な方式のふるさと納税返礼品にはレッドカードが示されています。
  「大量生産」「大量販売」という言葉を聞くと、何となく「レミングの鼠」のことが連想されます。例え偽装だろうが、インチキ臭かろうが儲かる以上とことんまでやるのが人間という動物。でも末はどうなるのか。EPA・TPPに伴う今回の偽装是正の動きは、先ずワイン業界で始まりました。現に現在ワイン業界では未曾有のことが起きています。もっとも毎度暗いことばかりだと嫌や気がさします。次回はちょっと明るいことでも書いて一息入れましょう。