26.「ドイツ人の考え方Ⅰ」

2015/06/21

 今、41年前のことを書こうとしています。でも遙か昔のことでも、私の記憶の中ではつい昨日のことのようです。何故といって、そのことがその後の私の人生に多大なる影響を与えたからです。
 1974年(昭和49年)。我が国の戦後復興も本物で、簡単には瓦解しないところまで来た時代。しかもニクソン・ショック、オイル・ショックと続き、日本丸も本格的に世界の荒波に向って出航したその頃。ドイツの国の学校でワイン作りの勉強をしようと勇躍出掛けました。ドイツ語は全く知りませんでしたから、先ずは本場で言葉を覚えるところから始めよう。今考えると無謀に近い計画でした。ドイツの社会がどうなっているか。勿論何も知りませんでした。というより、敗戦からの奇跡の復興を成し遂げた東西の両雄、それが日本と西ドイツです。きっと殆んど似たような社会体制を持った国、と全く錯覚して出掛けたのです。
 それがどうでしょう。言葉や食べ物が違うことは想定内のことながら、生活習慣、社会システム、そして人々の思考方法まですべてが日本と異なるということに数日で気付きました。通りすがりの旅行者ではなく、その地に3年生活して知識、技能を身に着けようというのですから、到着初日から観察・分析に熱心だったせいでしょう。毎時毎分が新発見の連続といっても過言ではない3年間が始まりました。
 先ず人々が自分の思っていることを言葉に出して相手に遠慮なく伝える。これは思っていることを口に出すべきかどうか常に迷い、しかも場の空気に合わせて上手に加工して話す我が国の方法とは大いに異なります。6歳半の時に鹿児島から北海道に移住したせいで、他者との協調性・融合性に欠けると囲りから批判され続けてきた私にとりましては、とても嬉しいことではありましたが、、、。誰もが自分の意見をきちんと言う社会。行って住んでみなければ分からない社会が日本の外側にあるということを実感しました。それでは毎日が殴り合いかというとそうではありません。要するに人間誰もが全く違った意見を持っているのだ、という前提で動いているのです。(日本だって本当はそうなのに!)
 目的型学校ということもあり、ひとつひとつの講義が実に新鮮で面白い。先生方はひとりひとり個性豊かな上に同級生も全寮制ゆえ深く付き合えるので、何やらドイツ社会学の勉強に来たみたいでした。和独辞書は持参せず、級友達や先生方への「こういう時はドイツ語でどう表現するのでしょう」とか「今の貴方の言ったことを、違った表現法でもう一度言って下さい。」という質問が私の常套句となった程です。基礎的なことをきちんと覚えると、あとは囲りに歩く辞書が沢山居るという発想です。現地で学ぶ外国語の利点ともいえます。
 日本の高校生時代は大学受験一偏倒の勉強、大学へ入ってからも無個性な教授の下での無目的な学習に物足りなさを感じていました。ですからドイツでの勉強は、自分にとってとても意義のあるものとなりました。
 「良いワイン作りは、良いぶどう作りから」、「ワインは9割方ぶどう作りで決まる」、「ワインの中には真実がある」いや「ワインには真実を閉じ込めなさい」。こんな言葉から講義は始まります。理想論かな、と当初は思いました。しかし、ここはぶどうの育て方を学ぶ所だと思える程栽培の講義や実習は充実していましたし、又実際その後帰り来て約40年、日本中の4つの場所で実感したことですが、ワインの本質はぶどうそのものです。戦後70年、今や地球上のあらゆる所で進められているワイン作りの中心に太く流れる思想は多少概念的でも上述の如き言葉に集約されるのです。我が日本を除いてはです。実に悲しいことです。と同時に挑戦し甲斐のある命題がこの国にはあることにもなります。