44.非常に分かり易い理屈

2015/08/13

 1974年、当時の西ドイツ南部の大都市シュツットガルトで、私は郊外に下宿していました。全寮制のワインの学校に入る前にドイツ語をマスターすべく、毎朝郊外から市中心部の語学学校へ。路面電車(これが世界一美しい路面電車で現在も走っています)で16駅乗るのですが、電車の中で見た光景は今でも忘れ得ません。小学生も中学生も通勤者も定年老人も乗り合わせるのですが、子供達(小中学生)が必ず大人に席を譲るのです。
 昭和49年のことですから、日本では長幼の序も崩れ、道徳も風化して、子供がお年寄りに席を譲るという光景はもう絶えて見られなくなっていました。それがドイツでは、子供が老人にだけでなく年上の人には必ず席を譲る。何と素晴らしいことでしょう。
 語学学校では初日以外は英語での会話を禁じられていましたので、たどたどしいドイツ語で女性の教師に、自分の意見をやっと言えるようになったのは2か月後のこと。毎朝電車の中で見る子供達のこの行為を何と道徳的かと先生に言うと、私が何のことを言っているのか良く分からないとのこと。自分の語学力が稚拙ゆえ意味が通じていないとばかりに、必死で手を変え品を変えの説明を試ると、やっと理解して呉れたらしく、「いえ、それは誤解です。子供が大人に席を譲るのは法律です。だって半分しか払っていない者が全額払っている人を立たせて自分が座っているのは間違っているでしょう?」唖然!!!
 この法律(Gezetzゲゼッツ)という言葉に私は絶句しました。ガリバーが小人の国や巨人の国に迷い込んだみたいで、多少大袈裟ですが、その時私の受けた文化的ショックは大変なものでした。こりゃあエライ国に来たもんだ、と正直思いました。
 教材にタブロイド判の人気新聞「ビルト(写真の意)」を時々使いました。或る時、その第一面には銀行強盗に入って即射殺された男の血だらけの顔が大写し。ピストル若しくはピストル様のものを持って銀行に入った人間は、駆け付けた警察官に有無を言わさず射殺される、とも教えられました。兎に角、「法律が生きている」を実感させられたものです。
 昨今、TV、新聞、雑誌ではギリシャが悪い、いやドイツが厳し過ぎると、両者への弁護・反撃の議論が成されていますが、以上の如く、このドイツの明確で論理的な厳しさに対応出来る国なんてザラにはありません。哲学の国ギリシャが勝つか、それとも論理の国ドイツかと思うのは私だけでしょうか。兎に角いい勝負です。