59.北海道ルネッサンス・プロジェクト①

2015/12/13

  明治維新は今から148年前のこと。維新政府の督励もあり、この大地を開拓すべく日本中から多くの人々がやって参りました。一番古くて概ね6代裔(すえ)でしょうか。私などは昭和29年(1954年)のことですから最後発の部類に入ります。
  信じられない程の人々のエネルギー投入の結果として、現在の北海道があります。色々なことがありました。しかし今、北海道の経済はやっぱり本州に比べて脆弱だ、と頭を垂れるのは早計ではないでしょうか。例え話にあるように、ビンの半分に減ったワインを見て、「ああ半分しかない」と嘆く人と、「いや、まだ半分残っている」と自らを励ます人。私の場合、「作ればもっともっとある」のタイプです。
  故ないことではありません。北海道の場合、
☆100年以上前に比べ、インフラ(特に交通網)は格段に整備されていること。そして金融も。
☆断腸の念はあっても、施行される以上は、TPPを逆手に取って、農産物の
高付加価値化で乗り切ろうという動きが確実にあること。
☆本州一円の温暖化により、北海道を日本のスイスとすべき時機到来と目す
るべきで、それが外国資本により既にニセコで進行中であること。
  先般、新得町共働学舎の代表宮嶋夫妻と歓談した折のこと。彼曰く、「現在北海道でチーズ作りをしている人達のうち、かなりの人が私のところで研修しました。よし、2~3年かけてじっくり教えよう、と思っていると、僅か2~3ヵ月でもう学び了えましたとばかりに独立して行ってしまう。失礼ながら、中途半端な知識と経験で初めても、結果余り良いことはない。」
  同様のことが私のワイン作りの分野でも起きています。この8月、私の出たドイツの国立ワイン学校の37期後輩がやって参りました。坂田千枝という32才の女性です。現在彼女はドイツのワイン蔵で活躍していますが、彼女曰く「ネットを通じて色々な日本の若い醸造家と知り合いになり、今回一軒一軒訪ねて歩きました。とても失望しました。何故日本では全くぶどう栽培・ワイン醸造の本格教育を受けていない人達がワインを作ろうとするのでしょう。」
  このOcciGabi Wineryでぶどう栽培とワイン醸造を後進に教えている身として申します。決してウルサ型爺のたわ言と片付けてはいけません。これから、この北海道を日本最高の第一次産業立脚型観光ゾーンにする時、良きチーズと良きワインが欠かせないのは周知の通りですが、問題なのはその質です。ワインの世界ではNapaの隆盛がそのレベルの高さゆえというのは、つとに知られていることです。チーズ作りをしてらっしゃる方々で、知らない人が多いかもということをひとつ。高級ワイン作りに於いては小さな新樽に入れて熟成させますが、そういったワインは新樽に入れる前に、チーズ同様乳酸発酵をさせるのです。専門用語でMLF(Malo-Lactic Fermentationリンゴ酸・乳酸発酵)といいます。要はワインの中のリンゴ酸分を乳酸に変えることにより、酸分を減じてワインの口当たりを良くする工程です。ワイン作りには、ですから第一の発酵たるアルコール発酵と、この第二の発酵がからむことになります。単にチーズとワイン両者は発酵食品というだけでなく、ワインも乳酸菌の力を借りているのです。チーズとワインがとても近い関係にあるのが分かりますね。
  かつて140年前、ホーレス・ケプロンが明治政府に献策して、北海道を東洋のデンマークにせよと述べたことは記録に残っています。大通公園の西の端で彼の像を見上げる時、私は「いよいよ、貴方達(クラークも含めて)の考え通りになりそうですね」と心の中で呟きます。時代は早過ぎ、彼の北海道チーズランド計画は成りませんでしたが、その横に彼を深く理解、後援した初代知事(開拓使長官)の像があるのを見て、ちょっぴり宿命みたいなものを感じます。黒田長官と自分が同県人であることは、何か意味があるのかも、と。