77.Dornfelder(ドルンフェルダー)という品種

2016/05/26

 ドイツ・シュツットガルト市北郊のワインズベルクに在る国立ワイン学校の前身は、18世紀中頃に作られたヴュルテンベルク公国の王立ワイン学校です。時の王様に強く進言してワイン学校を創設させた功労者が王の侍臣であったドルンフェルダーという人だったことに起因し、この学校はこの人物を創設者として崇めています。
 この学校は、創設来、常に教育部門と研究所部門を併せ持っていますが、研究所には多くの交配者が名を残しました。中でも20世紀前半に活躍した上席研究員のヘロルド氏の功績は大きく、彼の残したより赤く、より重い赤ワインの代表品種がこれです。1955年作出のこの品種には、ポルトゥギーザ―、レンベルガー、フリュー・ブルグンダー、トロリンガー(グルナーシュ)以上4種の血が等分(1/4ずつ)に入っています。
 1977年にトルンフェルダーは私自身の手により日本に持ち込まれ、北海道中央農業試験場の余市分場での試験栽培を経て、余市の農家何軒かに手渡されたものの、現在では私の知るところ2~3軒の農家の畑に細々と(1ha未満)栽培されているのみです。栽培面積が極端に減少した理由は、きっとこのぶどうの木の育て方の難しさでしょう。木が巨大化し易い性格で畑管理の仕事量が多くなるのです。ぶどうは大房で、赤黒い色素量も申し分なく、長期熟成型の赤ワイン作りに向いています。
 この品種も前出ジャーマン・カベルネ・シリーズ同様に、この余市では増殖奨励品種とすべきと私は考えています。
 しかし、この品種は別のエピソードで多くの人にその名を知られることとなりました。前述「品種交配について②」で書き忘れましたが、1976年当時の西ドイツには厳しい法律があり(現在もあると思います)、ある人が研究開発段階のこのドルンフェルダーの木を国が一般農家・醸造家に認定開放する前に、こっそり勝手に先行して栽培したのだそうです。この抜け駆け行為は摘発起訴され、確か懲役2年の判決が下りたのを新聞が大きく報じました。
 ちょっと恐ろしいような、杓子定規のような感じで、日本人なら納得の行かない話かも知れませんが、ドイツって割合そんな国で、私自身はドイツのそんなところが大好きです。