78.愉快なフランス人の来訪①

2016/06/16

5月末の或る日、日本の代理店の人に伴われて、一人のフランス人青年が来訪しました。私共への新樽売り込みのためです。この青年が都合3時間程居て、自社製の樽を私共に強く勧めるとともに、とても面白い話を幾つかしていったのです。
  フランスの樽塾成用新樽(業界ではバリークと称びます)メーカー大手「タランソー社」のアジア・太平洋(オーストラリア・ニュージーランド)支社代表と名乗り、学歴もボルドー大学の醸造科卒だそうです。「へえ~、ボルドー大学を出て、何で樽売って歩いているの」と私。「良い働き口が無くて。でも樽屋も結構楽しい仕事です。」「うちには可愛い娘がいて、現在ドイツでワインの勉強している最中だけど、婿にならないか」と私の得意な奇襲戦法。しかし、この青年もさる者で、「でもフランスにもスペインにもドイツにも彼女がいっぱい居て、先ずは一人ずつ断ってからでなくちゃあ」とドン・ジョヴァンニも顔負けのユーモラスな返答。本当に面白い青年で、私は大いに気に入りました。(きっと、ドイツの娘は怒るでしょうね。)
  220~230リットルの樫で出来た新しい樽に作りたてのワインを入れて塾成させる手法は、近年高級ワイン作りの現場ではよく用いられます。ワインは樽の中に半年、一年、二年と入っているうちに、己れが持つアルコールの抽出力の助けも借りて、樫の渋みや香りを吸い込みます。そしてその成分はビン詰めされた後の「ビン内塾成」で順化し、よりマチュアなワインとなって行くのです。この行程は文章では表現し難いもので、しかも定型というか、必ずこうしなければという法則はありません。恐らくこれはワイン作り一般に言えることですが、およそ完全なる定型というものは存在しない、と私は考えています。敢えて申せば、「とにかく清潔に作る」べきですが、それ以外の諸方法は各人各様の作り方となる、そんな世界です。
  原料である新鮮なワイン用ぶどうの品質に大きく依存するお酒作りゆえ、作っている側と味わう側(お客様)との意思疎通が不可能とも言える程難しい、と私は思っています。作り手側が自画自賛を慎まなければならないのは当然のことながら、飲み手側(お客様)も、決して作る側を過度に美化しないことが肝要、と私は考えています。ですから間に入る酒屋さんやソムリエの方々が、中途半端な情報や作られたストーリーに乗って踊らされている姿を見るにつけ、哀しさを通り越して滑稽とさえ感じられます。要するに、ワインは嗜好品なのですから、皆が皆もっと主体性を持つべきです。