90.何故、今ワイン新法かⅡ

2016/11/13

  何事も徐々に、そして段階的にが好きな我が国民性ゆえ、今回のワイン新法施行は余りにも急速・過激で、直言居士を自認する私にさえ不可解なものでした。しかし最近になってやっと全容が見えて来ました。要は我が日本政府もその運動を指向していたのです。外部(外国)からとやかく言われなくとも、です。
  私は現在、日本中でも知名度では最上位近くに位置する余市町に住んで、この一帯をワイナリーだらけにする運動を一生懸命、そして楽しく進めています。ところが、今この町は信じられない程のスピードで衰退しています。人口減と老齢化に歯止めがかからず、地域GDPは下降の一途を辿っています。新しい就職口は殆ど見つからず若い人々は成人になる前に町から離れていきます。当然、結婚して子供を産む人も激減していますから、現在2万弱の人口とはいえ、街を歩いても、出会う人は殆どが私を含めて老人ばかりという状態です。少しでも将来を推論する人は、10年後20年後の我が町の有り様を考えて暗然とすることでしょう。それとも、自分はその頃は生きていないのだから考えるのは止そう、と思い切っているのかも知れません。イヤ、そんな枯れススキ論には根拠が無い、余市はもっともっと生き残る、と言う人にもたまには出会いますが、そんな人に限って更に厭世的で、非行動的です。  
  山奥の村や絶海の孤島が無人化した話は幾つか聞きました。しかし現在進行中の我が余市町、そして日本中の多くの町村の急速な衰退現象は未曽有のことです。我が国の歴史始まって以来のことでしょう。
  昔1950年代60年代に我が国の劇場(映画館)やTVで放映されたアメリカの西部劇。Tumbleweed(タンブルウィード)という直径50cmほどの枯れ草の球が、強い風に吹かれ転がって行きます。そんな誰も住んでいない街のあちらとこちらからガンマンがゆっくり歩み出て決闘、というシーンがよくありました。こんな誰も住んでいない街での決闘で、生き残った方は何処で空き腹を満たすのだろう、と余計な心配をしながら観ていた私です。(勿論マクドナルドなんて未だない時代です。)
  Ghost townというのが、そのような町に付けられた名前。何処もかしこも人口増加で、沸き立つような日本で観ていましたから、丸切り実感のない空間設定でした。しかも20mも離れていて、抜き撃ちの一発で相手を仕留めるのですから、とても嘘くさい話です。
  そのようなことはさて置き、このGhost townという語が何やら最近、私の中では実像を結びつつ感じられます。Ghost townはどうして生まれるのか。現代風に言うと、その地域の経済が成り立たなくなって、人々が、皆他の所へ移るから、となるのでしょうか。
  念ずれば問題は片付く訳もなく、例え自分はキリスト教徒ではなくとも、「神は(天は)自ら助くる者を助く」を信じて生きています。何もしない町はどんどん衰退しますし、逆に自分達でどうにかしようという町でしたら、国はそれを強く援助しようと考えるハズです。
  今回の私の結論はこうです。「地方創生」なり「六次産業化支援」なりを国が推進して行く上で、障害になっているのは、既存の偽装(インチキ)的産業です。地方で高付加価値型の真実性の高い産業が生まれれば、それは雇用につながります。それに反し、外国からのものを日本で詰め替える産業に於いては、高付加価値も良き雇用も生み出せないのです。地方の真実性の高い高付加価値型産業を援護するには、偽装性を法律で排除すべきだ、と国は考え、象徴的にワイン作りの世界でまず実行となったのでしょう。その証拠に、最近中央から弊社宛に来た文章には、ワインの新しい(そして厳しい)表示法の考え方を他の加工食品にまで及ぼす、と書いてありました。他の世界のことはよく知りませんが、ワインに於いては完全施行が2018年10月と明記されています。