167.ベートーヴェンが好んだ席
2019/09/16
今から40年以上前に西ドイツ国立の学校で、ぶどう栽培法とワイン醸造法を学びました。日本の大学と同様にセメスター(2学期)制でしたので、学年の始まりは9月で、次の年の7月中旬に第2学期が終了します。そんな訳で卒業も2年後の7月中旬となります。一生に一回切りの渡欧留学ですから一計を案じて学長に紹介状を書いて貰い、お隣りオーストリアはウイーンの国立醸造所で、卒業後ワンシーズンだけワイン作り実習を受けることとなりました。この醸造所付属の研究機関が交配作出した、ツヴァイゲルトレーベという赤品種ぶどうの苗木を大量に譲って頂くことも目的のひとつでした。
西ドイツの学校の時もそうでしたが、かつて王立、現在国立と名乗るワイン作りの機関(学校・研究所)に在籍していると、誠に珍しいお客がよく訪ね来るものです。西ドイツ時代は時の北海道副知事・中村氏がわざわざ田舎にある私の学校に訪ねていらっしゃり、「きっと君の勉学が将来北海道の役に立つ時が来る」と激励して下さいました。食事をごちそうになりながらの副知事のお話しでは、日本もそろそろ国会議員の比例代表制を導入すべき時が来たので、北欧等の「ドーント制」を調査に来たついでに私の処に立ち寄ったそうです。若い私はとても感激しました。現実にこの中村氏はその後参議院議員になられ、現在の比例代表制を強く推し進めたのです。
さて、その一年後の1976年秋、私がウイーンの国立醸造所に居た時はジミー・カーター氏がやって参りました。時の合衆国大統領です。勿論、SP(要人警護官)達に遮られて、或る距離からしか見ることは叶いませんでしたが、自分が在籍研究しているその場に世界一の政治家が訪ね来るなんて滅多に無い偶然に違いありません。
以上は実際にあったことです。次に書くことは、しかし、実際にはあったものの、事の真偽は怪しい話。
ウイーン市北西の郊外にグリンツィンゲンという地区があり、ホイリゲと呼ばれるワイン居酒屋が100軒程軒を連ねています。字句通りにheurige(ホイリゲ=当年物の出来たてワイン)とは店の裏の畑でブドウを栽培し、店と醸造所が一体で手作り料理も出来たてのアツアツでと、まことに雰囲気がよろしい。お陰様で、私も夕食は毎晩どこかの店で飲み食いしていました。不思議な店々で、独りきりで居ても、ちっとも寂しく感じないため、私以外にも同様にたった一人で来店している人々はとても多かったのです。それと、割合寒冷の地(東北・北海道並み)なのに、晩秋でも中庭で飲食する人が多い。私もそんな一人。
店員がテーブル勘定の際よく言うセリフが仲々のものでした。「この席がお気に入りのようですね。実はかつて170年程前、ベートーヴェンもいつもこの席に座っていました。」行く店、座る席に違いはあるものの、時にはそれがブラームスになったり、シュトラウスになったり、モーツアルトやリヒァルト・ワグナーだったりするところが一層シャレていました。これはこちらが信ずれば、それで済む話。オレオレ詐欺と違って、こんなのは何百回でも言われてみたいと思いませんか。