103.無調と不調法

2017/03/12

  好きな音楽は?と尋ねられたら平気でクラシックとジャズ、オルディーズ・ロックにフォーク、そしてシャンソンと答える程、色々なジャンルのものが好きです。レコードやCDで聴くよりはliveが良いに決まっていますが、余程お金とヒマに恵まれなければ、本人の演奏を直かに聴くことは出来ません。大学生活を東京で4年送った時以外は、殆んど田舎での暮らしということもあり、空間移動の観点からも無理だったと思います。それでも想い詰めればグールドのピアノやディランのガラガラ声、アズナヴールの歌は人生の記念に聴いておくべきでした。
  とはいえ40代、50代を丸々新潟市郊外で暮らしていた20年程の間に、クラシック界の色々な人と出会った(もしくは直かに演奏を聴いた)のですから、ちょっぴり驚いています。信じられないことながら、ザバリッシュやゲルギエフと握手して話までしています。両者ともドイツ語が通じるからということもありましょうが、自分の物怖じしない性格ゆえのことでしょう。相手が丁度その時ヒマだったこともあるのでしょうが。
  フルート演奏で言えば、ベイカーやランパルはCD頼りなのに、パユとニコレの演奏はかなり近い距離で聴いています。新潟で私の経営していたワイナリーから僅か15kmの岩室温泉には粋な女将が居て、彼女の温泉旅館の中庭竹林でニコレがデムスのピアノと協演したのを楽しみました。パユの場合はもっと偶然で、私が自分の音楽ホールのためのピアノを捜していた時に間違って聴いてしまったのです。自分のワイナリーが10周年を迎えるのを記念して、ベルリン・フィル・メンバーによる弦楽四重奏とピアノ五重奏コンサートを企画したからです。スタンウェイにすべきかベーゼンドルファーにすべきか、はたまたベヒシュタインにしようか、と記念に購入すべきピアノ選定に迷っていました。前2者はあちこちにあるピアノですが、後者はそんじゃそこらにない、と思っていたら、何と80km離れた小出町(現魚沼市?)のホールにあるというので、その調べを確かめる目的でコンサートに出掛けました。要するに演目は何でもよく、また非常に失礼なことながら誰が演奏しようと、それもどうでも良い感じでした。ところがどうでしょう。エマニュエル・パユが出て来てプーランクのソナタをサラリと演奏しました。その結果、ピアノの音色調べのことをすっかり忘れてしまいました。
  元来が非常に音程の不安定な楽器フルートで、あの転調に転調を重ねる曲を吹くのですから、完全にその幻想・幽玄の世界に引き込まれてしまい、その日以来パユの大ファンになった次第です。

  自分のワイナリー・ホールのピアノは結局ベーゼンドルファー”猫足バージョン”にしました。6500円の記念コンサートのチケットはすぐに売り切れ、翌日新潟市内の520人収容のホールで2回目のコンサートを開かなくてはならない程でした。
  この時の第一ヴァイオリンがトーマス・ティムという好青年。更にそのお父さんがライプツィヒ・ゲヴァントハウスの首席チェロのユルンヤーコプ・ティムで、その2年後(2004年)にはソロで我がホールに来演し、彼がお礼にと自分が出ているバイロイト音楽祭に私を招いてくれて…と続きました。その後は更なる山奥に私が引越したものですから、現在は音信が途絶えていますが。
  破調(これは俳句用語?)とか無調とか言われる曲が好きで、ワグナーのタンホイザー序曲もそのひとつ。自分は音痴と隣くらいの立ち位置かと自問するくらい他人の無音程にはこだわらないのも事実です。最近気付いたのですが、世に言う「音痴」というのは決して無調法ということではなく、ちょっと高尚に「無調」と呼びかえるべきではないでしょうか。何故なら音痴の人ほどよく歌をうたうのですから、もしかして私も含めて。パパゲーノの心境じゃありませんが、
stets lustig, heissa, hopsassa!
シュテーツ ルースティック、ハーイサ、ホプサッサ!
(いつも陽気さ、そうさ、そうなのさ!)
                     -「魔笛」より