176.ワインはどう流通させるべきか

2019/12/28

  昨今のGAFAの跳梁跋扈振りに、我が日本政府が大きな危機感を抱いています。対抗策として我がYAHOO JapanがLINEと組んだりしていますが、昭和22年に生まれた私は、いくら長くてもあと20年程しか生きて居ないのに、世界はこれからどれ程変わるのだろう、と考える今日この頃です。
  しかし、我が国のワイン製造と流通は一度行き着くところまで行ってしまいました。原因は我が国の経済至上主義にあります。それをワインの世界に持ち込んでしまったのです。
  画一的な味わいのものを、大量に沸騰した市場に大いに広告宣伝しながら投入すれば、それは必ず儲かる。ここからスタートしますから、ぶどう畑の無い(例えあってもほんのアリバイ程度の面積で)、ビンに詰める中身は全部外国から持って来ようというワイナリーだらけになってしまったのです。
  今後はコンピューターやAIとは無縁の(それどころか究極の嗜好食品ゆえコンテストや「アワード」とも本来は無縁の)ワインという産品は、少量希少の地域限定商品としての面白い地位を我が国で確立するでしょうが、それならば流通の仕方も一変させざるを得ない、というのが私の持論です。
  お分かりですか。我が国の酒類の流通は世界でもかなり特異なのです。製造(ワインメーカー)・卸し(問屋)・小売り(酒屋さん)が、つい最近まですべて免許制だったのです。通信販売の普及に適合させるべく、その規制は現在或る程度緩和されたものの、人々の心情がいまだに過去の形を引きずっていて、お酒は酒屋さんで買うものと、という考え方のままなのです。
  私に言わせれば、ビールはいざ知らず(ビールだってきっとそうでしょう)他の酒類はすべて或る一定量以上を大量に製造することに、味の上での利点はありません。設備産業ゆえに超少量は無理ですが、いわゆる製造適量があるのです。ワインの場合、世界中を見渡して年産数万~二、三十万本というところでしょうか。そしてひとつの確固たる味わいのワインはひと年度ひと銘柄数千本が限度となります。
  しかもここが一番大事なことですが、毎度味の違うのがワインである以上、「試飲」が購買時の必須条件です。或る味わいのワインが数千本(時々数百本)で「試飲」が必須なら、矢張り買う場所は基本的にワイナリーその場所ということになります。
  先日も首都圏のワインを多く取り揃えた或る酒屋さんがいらしたので、私のこの考えを述べました。「現在地球上に年度違いも入れれば何千万種類のワインがあります。あれこれ店に置いてもキリがありません。幾つかのメーカーの何品かを置いて、お客様に試飲して頂きながらしか売れない時がやって参りますよ、きっと」と。
  それにしても、私のライフスポーツであるサッカー界J1はやっぱりまともな英語を使いますね。12月8日のニュースでは、きちんと」「アウォード」とやっていました。このグローバルな時代、ジャパニーズ・イングリッシュは止して、原音主義にすべきです。