29.「Hermann Hesseのこと」

2015/06/21

 私は生来、生意気な上に、鹿児島訛りを身に着けたまま6歳の時に長駆北海道に移住したものですから、小・中学生時代は俗にいう「いじめられっ子」でした。「泣かされっ子」と表現したほうがより正確でしょうか。結果、学校の図書館の一番のお客となりました。確か昭和34年、私が小学5年生の時NHKラジオの「私は誰でしょう」というクイズ番組を父と聴いていて、「あっ、これレオナルド・ダ・ヴィンチ」と答えた私を見て父がビックリしたのを覚えています。
 中学校は1学年11クラスもある巨大校でしたが、1年生の時の担任佐々木四郎先生に大きく感化されました。とにかくヘルマン・ヘッセを読みなさいと。最初に「車輪の下」。主人公ハンス・ギーベンラートの名前は一生忘れ得ないものとなりました。続けて「デミアン」、「ペーター・カーメンチント」、「シッダールタ」と進みます。実は中学校の図書館にはヘッセの本は余り置いてなく、父が買って呉れるようになりました。安月給の父は結構無理をして小学館のいわゆる赤本「世界文学全集」も毎月購入して呉れました。全5~60巻はあったと思いますが、重ねて「世界推理小説全集」まで連続購入し始め、誠とに恵まれた読書環境で育ったと確信しています。
 トルストイ、ドストエフスキー、スタンダール、ゾラ、セルバンテス、トマス・マン、ゲーテ、E・ブロンテ、モーム、ヘミングウェイ、ヴァン・ダイン、スタインベック、フォークナー、シェイクスピアetc,etcと、大学の友人からは「お前の読書歴には方向性が全くない」と笑われたのを覚えています。それでも熟読タイプです。読み流しはせずに反芻しながら読みます。書いた人の、時には翻訳した人の理念を考えながら読むのを楽しんでいます。音楽、特にクラシックの曲も作曲者の気持ちを考え、演奏者の解釈や表現方法に耳を傾けることに喜びを感じます。
 さて、ヘッセの話に戻ります。寡作の人ですから、分かっても分からなくても読み進むと読む本が無くなり、その後高校・大学と全く交わらず、ドイツ留学に至りました。ドイツでは全寮制のワイン学校ゆえ、ハンス・ギーベンラートを想い出しましたが、勿論私の場合は彼のように追い詰められた精神状況ではありませんでした。気軽にドイツの町の本屋さんで「メルヒェン(短編集)」を手に入れ独文で読んでいて、この作家の精神性の深さに再び引き込まれたのです。この作品は非常に短いのですが、ドイツ生活の最中に読んで、やっとその意味が分るといった風情の文章で綴られています。
 38年前に日本に帰り来て、4つのワイナリー起ち上げに関わり、常に醸造所の周囲を美化しようとしましたから、必然、彼の最晩年の書「庭づくりの楽しみ」も読んでいます。ヘッセやゲーテの小説を専門的にはAusbildungsromanen(アウスビルドゥンクスロマーネン=教養小説)といいますが、字義通りに、「人格