62.サンフランシスコと小樽

2016/01/31

 最近数十年のうちに世界でも名立たるワイン名産地となったカリフォルニアのナパ。この小さな町を訪れるには、100km程離れたサンフランシスコを経由してというのがスタンダードです。
 では、もし余市、更には南に延びて共和、倶知安、ニセコ、羊蹄山麓にまでワインぶどうが沢山植えられ、後志(しりべし)地区一帯が日本有数のワイナリー集積地になったとしましょう。その時このサンフランシスコの役割はどの町が果たすのでしょうか。フェリー等海路ならば小樽、空路なら千歳・札幌、10年後の新幹線利用ならば倶知安・ニセコも候補でしょうか。
 その成り立ちや発展の仕方に強い興味を抱いて、この40年間に9度も1週間程のナパ滞在を繰り返してきた身で考えますと、サンフランシスコと小樽の類似性に気付かされます。アメリカ合衆国が非常に若い国であることを考えれば当たり前のことでありながら、世界一の偉容を誇る国の西側の大きな玄関口ゆえに、サンフランシスコはそれなりに古い歴史を持つかのように錯覚されがちです。しかし実際は1849年のいはゆるゴールドラッシュゆえに、港の基礎が固まった、それ以前は人口200人に満たない漁村であったと市史にもあります。プロフットボールチームのサンフランシスコ・フォーティナイナーズの命名そのものが、その事実を物語っています。
 さて、私自身がかつて都合10年程住んだことがある小樽は、維新直前の1865年開基の町です。年齢がほぼ同じなのです。もっともこちらはゴールドならぬ、近隣で採れる黄色いダイヤ(カズノコ)やら黒いダイヤ(石炭)の積み出し港として、はたまた内陸路の整備されていない頃の首都札幌への中継地として大きく栄えたのでしょう。
 北海道経済の中心的役割は、開基100年を祝った1965年(昭和40年)頃迄は札幌に負けず劣らず担っていた小樽。しかしその後、人・物の輸送がJR札幌、千歳空港、苫小牧港のゾーンに移るにつれ、急速に衰退します。近い昔(100年程前のこと)のレトロ建造物と、坂が多くて何処からでも海面が見え、彼方には大洋が望める景観を利しての観光。この感じもサンフランシスコにとてもよく似ています。
 小樽–余市–ニセコと各々異なった趣きの地域を繋ぐ観光ゾーンをイメージするのは、それが専門の経産省や国交省等の高級官僚の方々に任せておけばよいという人もいましょうが、現にこの地に住んでいる人々の中にも少しずつそのように大局的に考える風潮が出て来ているものを実感します。
 それにしても、小樽市のなか程に面白い地名があります。小樽築港(ちっこう)がそれです。以前、大手建設会社の分所がこの地にあって、そこで防波堤等の改修用にケーソンを作っていました。船コンテナ大の巨大な中空の鉄筋コンクリートボックス(この物体をケーソンとよびます)を波打ち際で作り、それを海面に滑り落として曳航し、港内の基礎建設ポイントに来たら、この浮いた箱の栓を抜いて水を中に流し込んで沈めるというやり方で、この水深のある小樽港の海底海中工事をダイナミックに進めていました。この分所の現場監督が高校の同級生だったことをよいことに、私はこの地上建設基地を何度か訪れているうちに、門前の小僧よろしくこの工法に魅せられてしまったのです。たった一回の人生なのだから、有用なことは何にでも興味を持ったほうがよい、という考えです。
 耳から入って来る語感として、オタルチッコーとサンフランシスコ、ちょっぴり似ていますね。