71.人類最初のワイン作り ①遠来のお客様

2016/04/29

 地中海の一番奥、というと皆さんはどんな地名を想い浮かべますか。ギリシャ?レスボス島?トロイの遺蹟?イスタンブール?それとも狭い海峡を分け入って黒海に入り、クリミア半島、ウクライナ、セバストポーリ、オデッサとまで辿り着く人は、きっとかつての無声映画「戦艦ポチョムキン」を観た人かも知れません。
 しかし、その先黒海東岸に位置するジョージア(旧名グルジア)という国のことを語る人は決して多くないと思います。それ程我が日本には縁遠い国なのですが、この国こそ正真正銘地中海最深部と呼ぶべき地で、しかも人類の「ワイン作り発祥の地」なのです。
 TVの林先生ほどではありませんが、私自身もこの国のことは多少断片的に知っていました。1960年代の高校の授業では、ソヴィエト連邦共和国(ソ連という変テコリンな略称でも呼ばれていました)というのは、中心のロシア共和国が西や南にある周辺共和国群を面白い方法で統治していると教えました。それぞれの周辺国がロシアから離叛独立しないように、意識的に片寄った経済構造の国にしたというのです。重工業は勿論のこと、重要な部門のすべてをロシアだけに置いた上でです。
 私が1975年アメリカ合衆国に旅した際、ペンシルベニア州ペンシティーにある州立大学のDr.ピーターセン教授にお会いした時のこと。「日本のお若い人、西側の人が誰も見たことがない景色をスライドでお見せしましょう。これらは私がソヴィエト政府の特別の承認を得て、最近グルジア共和国で撮影して来たものです。」20枚程度の静止画像はすべてぶどう畑のもの。そして教授が私に説きたかったのは、いかにその一枚繋がりのワインぶどう畑が広いかということでした。「君、見ての通り、ひとつの畑が2000ヘクタール以上あって、しかもそれは共同の農業組織『コルホーズ』で経営しているのです。そしてそのような畑がこのグルジア共和国中いたる所にあるのです。」「Dr.ペーターセン教授(とドイツ風に呼ばれるのを好む人でした)、そんなに沢山ワインを作ってどうするんですか」と私。「全ソヴィエト連邦内に配るのさ。」「じゃあグルジア共和国はワインばかり作っているのですか?」「どうもそうらしい。」「そりゃあ大変だ。」
 この40年余、欧州には数限りなく飛びましたが、まだエコノミークラス制度が整備される前は、よくアエロフロート・ソヴィエト航空の細長いジェット機「イリューシン」に乗ったものです。その機内で出て来るのも、いつもグルジアワイン。正直、とても美味しかった記憶があります。
 運命のいたずらと言うべきでしょうか、そのジョージア(グルジア)共和国のワイン作りやワイン流通を支える人々が9名私のところにひょっりやって来たのです。本当にびっくり。訪ね来た人々や通訳の人はニッコリ。目的は日本のワイン市場調査、そしてワイン作りの実態調査とのこと。私共のワイナリーに4時間程滞在して帰り際に、「私達は今から8000年前、人類最初のワイン作りをした人々の子孫です。貴方も是非私共の国にいらして下さい、歓迎致します。」私のことですから、「近々必ず伺います。」と答えた次第です。