82.ドゥルリー・レーン氏の異能

2016/07/15

確か古き良きミステリー界の巨匠エラリー・クィーンの初期作品には、ドゥルリー・レーンという探偵が登場します。数々の場面で自分が観察したこと、相手の言ったこと、人々の表情・反応を克明に記憶してその情報を整理し、自己の推論を組み立てて行きます。この仮説的推理を傍証で固めて、最後に誰が犯人かの結論を出す主人公探偵の行動を、逐一主人公に感情移入しながら読み進む行為こそ至福、そんな世界です。
  作者エラリー・クィーンは、しかし、このレーン氏に特別な才能を与えました。遠く(といっても数mから10m程離れた処)に居る人の会話を読み取る力、読唇術です。かつてシェイクスピア劇等の舞台俳優をしていた人物ながら、事故で聴力を失った為、読唇術をマスターして探偵に転じたという出来過ぎたしかもとても面白い設定です。離れたところに居るレーン氏には聴こえるはずがないと喋っている2人のひそひそ話が、こちらには丸聴こえというのですから痛快です。愛読していた高校生の頃の私は、真剣に読唇術訓練の真似事をしたくらいです。それじゃなくとも受験期で時間が無いのにです。いえ、それ故に変テコリンな訓練が続けられなくて幸いだったと言うべきでしょうか。
  この読唇術能力に加えて、いえ当然の結果として、もう一つの特殊な能力が彼には与えられています。どの様なシチュエーションでも瞬間的に沈思黙考のモードに没入出来るのです。そうです、彼の場合、単に眼を閉じればよいのです。会話の最中、又は雑踏・騒音の中、急に耳を塞ぐ行為は常人の場合はとても難しいものです。口と眼は閉じても、耳まで覆い塞ぐと、会話や会議の席では相手に失礼でもありますし・・・。
  レーン探偵の第一の才能である読唇術は叶わずとも、第二の才能たる「瞬時に沈思黙考の世界へ」の能力を得ることに、最近私もやっと辿りつきました。かつて40代50代に新潟で創始した「カーブ・ドッチ・ワイナリー」。物凄く広い庭を作り、大部分を芝生で覆ったせいで毎週6~8時間は大型芝刈り機に乗っていましたが、騒音を放置していたせいか、聴力が著しく低下し、老化も加わって、現在ではデンマーク製の高価な補聴器の世話になっています。
  ピーナッツ程の大きさの内臓型補聴器を、左右2ヶこっそり外して眼を閉じると、会議中であれ、数人での談笑中であれ、しばし静寂の中に身を置くことができます。レーン探偵ならずとも、あっ、この情報は今のうちにまとめておかなければ、と思うことも意外と多いものです。その都度まとめて、きちんと頭の中の抽き出しに入れる。この行為に聴力は邪魔なものなのかも知れません。
  きっと私と同じ行動を楽しんでいる人は日本中に何百万人も居て、頭の中を整理しながら人生を楽しんでらっしゃることでしょう。現在は北海道の余市に移って又々きれいな庭の芝刈りに精を出していますが、今や機械を動かす時はそうです、補聴器を外して最後の極く小さな自前の聴力を保護するようにしています。