84.Columbian Exchange

2016/07/21

  日刊の新聞を読まずとも、週刊新潮や週刊文春は時々読みます。両誌とも良質の連載小説を幾つか載せてはいますが、それに嵌ると毎週買わされることとなりますから、要注意とばかりにそれは読まないようにします。結果、エッセーや書評欄に眼が行くこととなります。  
2ヶ月程前、文春のリレー書評「私の読書日記」に鹿島茂氏が「1493」のことを取り上げていました。原稿用紙4枚程の彼の書評に強く感じ入り、我が家の書籍購入担当大臣(我が妻)に相談したところ、即却下。怪しげな題の上、3600円もする大部の本はきっと読み切らないだろう、どうせ同居する6匹の猫の爪磨きにされるだろう、というのが彼女の見立て。
  さて我が妻Gabi(本名は雅美[まさみ])は4年前まで米国系の大手企業に20年勤めていたせいで、この余市町のワイナリー付き・大庭園付き我が家には、かつての同性の同僚達がよく泊まり掛けで遊びに来るのですが、この時も2泊していた仲良しが我が夫婦のやり取りを見ていました。そして彼女の帰京後、時を経ずして、礼状に添えてこの「1493」が贈られて来たのです。
  想像していた通り800頁にも及ぶ大著で、内容もすこぶる面白い。というよりは、意外なことの連続です。そもそも我が国では1492年コロンブスのアメリカ(カリブ海の島々)発見から、アメリカ独立戦争までの280年間の北アメリカ史の教育・研究が空虚で、きっと国内では最も専門的にアメリカ史を教える所と思われる東京外国語大学英米科(私自身そこに在籍しました)でさえ、この部分は殆ど空白です。それは合衆国内でも同様らしく、我が国の「白村江の戦い」よろしく、現代の国家にとっては多少不都合なこともあるのでしょう。兎に角模糊としていました。
  合衆国の始祖達が何をし、原住民達がどうして失せたのかを克明になぞる行為など現代アメリカ人にとって愉快な仕事であるハズはありません。そして大きな謎が残されたままだったことも事実です。あの豊穣の地に当初(即ち15、16世紀)原住民はそれ程多く住んでいなかったのか。そして残虐なスペイン系のコンキスタドール(征服者)達は、どうして征服・開発の貴重な労働力となるべき原住民を皆殺しにした(と学校では習います)のか。コロンブスの発見から騎兵隊がインディアンと戦う時期の間に大きな空白と数々の疑問があったのです。
Columbian Exchange、「コロンブス交換」と和訳します。要は欧州人が1493年以降新大陸に持ち込んだ微生物(伝染性病原菌)やら極小動物群にその答を求めようとするのが本書の試みです。読んでいて刺激的ながら、にわかには信じられない論調ゆえ、ゆっくりゆっくり読み進めていて、800頁のうち、やっと200頁まで辿り着きました。それじゃなくとも、この春はぶどうの新苗植え付け作業が山程あって夜更かしはいけないのに、とても罪作りな本です。勿論、本心は「智子さん(贈り主)本当にありがとう」です。おかげ様で、この小さな頭のモヤモヤが取り除けそうです。