96.「新婚さんいらっしゃい」出演

2017/01/25

  60代後半になってから「新婚さん」もないものですが、一応再婚ながらも私は有資格者。(妻の雅美は初婚です。) 友人からの奨めもあり応募してみました。一枚の簡単な申し込み書を大阪朝日放送(ABC)宛てに送ってから、何と1年4ヶ月して返事がありました。札幌で北海道地区予選を行うので出席されたしと。 
  45年も続く超人気番組ゆえの難関だから、気軽に他の出演者のトークを楽しもうとばかりに、全くの物見遊山気分で出掛けました。ところがどうでしょう。予選も通り、第二次選考会も通って、大阪での収録に出ることになったのです。 
  妻も私も常々「人生は1回切り、思い切り生きよう」を旨としていますので、邪悪な事柄以外は何でも経験しておくに越したことはない、とばかりに喜んで出掛けました。リーガ・ロイヤルというホテルの高級な部屋と飛行機の往復チケットも先方持ちです。収録もつつが無く終了しました。
  放映は2017年1月29日(日)12:50とのことですから、皆さんに内容はその時観て頂くこととして、折角の大阪ゆえ、ついでに「タコ焼きとワイン(シャンペン)とのマリアージュ」を看板の店も訪ねて「冬の大阪ライフ」を満喫して来ました。
  それにしても、私にとってはこれが人生で三度目の大阪訪問。18才大学1年生の時(1966年)に「東京・大阪外語大サッカー対抗戦」で訪れたのが最初。この時生まれて初めて東海道新幹線に乗りました。対抗戦などとは言っても二流チーム同志の試合ですから、内容は全く忘れてしまいましたが、その直後から東京中の多くの大学がストに入るいわゆる学園紛争の時代となり、対抗戦の大阪行きはこの1回きりしか経験出来ませんでした。
  第2回目が1970年。小樽の叔父とYS-11という戦後国産第1号のプロペラ機で伊丹に降り立ちました。大阪・伊藤忠商事の偉い人に私の欧州ワイン留学の段取りをして頂くためにです。緒方譲二という営業本部長は風采も堂々とした方で、私に色々質問します。一時間程の面談を終えた後に、彼が述べたことは今でも私の記憶に鮮明です。彼が叔父に向かって、「甥っ子さんは、フランスではなく西ドイツに留学させましょう。彼の性格だとフランスでは帰って来ないおそれがある。早速、その準備を始めましょう。」そうです。彼のこのひと言が私の留学先をフランスからドイツに変えたのです。しかし今になって思うに、ドイツで良かった。フランスのブルゴーニュになんか行っていたら、チャラチャラした日本人の友人が多く出来たでしょうし、又それがボルドーなら、帰り来て初めからカベルネ・ソーヴィニョンのワインを無理をしてでも作ろうと考えたことでしょう。  
  ドイツは実直な国民性ゆえ、ワイン作りやぶどう作りも理論からきちんと積み上げて教えますし、何よりも早飲みタイプの白ワインづくりのイロハから入りますので、帰り来ては極く忠実にそして自然にリースリング系早生品種の栽培・醸造を行うこととなりました。
  更にドイツ留学の利点を述べますと、世に言う「ステンレス革命」の震源地(発祥地)とも言うべき西ドイツのシュツットガルト市近郊に学校があったため、ステンレス設備群の早い信奉者となり得たのです。
  話がそれましたが、昨年の12月が第3回目の大阪訪問。空港から街の中心に向かうタクシー運転手さんに尋ねて、890万人(大阪府)の巨大都市と知らされますが、「それにしても、知らずにイメージしていたのとは違い、とてもきれいな街ですね」と私。運転手さんが答えて曰く、「空港からホテルまでの道筋だけみればそうですけどねぇ。」 私が粘って、「でも着陸時に上空から見たら、うねる河の両岸に街が張り付いていて、丸でパリみたいでしたよ。あのセーヌ河みたいなのが淀川ですか。」 「お客さん褒め方がうまいねぇ。川の名前は新淀川ですよ。」
  今回番組収録に出掛ける際に友人に話したところ、「『カンブリア宮殿』と『新婚さん、いらっしゃい』の両方に出た人間は、日本ではきっとお前だけだよ」とあきれられたのも事実です。